僕を禅に導いた『碧巌録』

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僕は昔、練馬区で下宿をしていたんです。そこは農家だったんですが、そこの家の土蔵で間宮英宗師の『碧巌録提唱』を見つけて読んだことが、禅に興味を持つきっかけになりました。

ですから、今日僕がこういう人間学という仕事をしているのも、この『碧巌録』と出会ったからなんですね。もし『碧巌』という書がなかったら、その後、僕はそれほど禅というものに興味を持たなかったんじゃないかと思う。

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さあ、そこで『碧巌録』っていうのはどういう本かというと、中国に雲門禅師という坊さんがいました。有名な「日々是れ好日」という言葉を残した和尚さんがこの人です。その雲門禅師の再来といわれた雲門派の中興の祖、雪竇重顕という人が、みんなが禅を勉強していくための参考書として、パズル、或いは、謎といってもいいような問いかけの書として、昔の人のやったこと、いったことのエピソードを百集めた。これを公案といいます。

この百のエピソードを集めたものを、もっと時代が下りましてから、圜悟克勤という人が垂示、著語、評唱という三つの文章をくっつけて、それを解釈した。そういう本なんです。

で、なんで『碧巌録』っていうかというと、これが実にいい加減で、そのお寺の前に岩が一つあって、それが青(碧)い岩(巌)、碧巌だったっていうんですね。それをチラッと見て『碧巌録』ってつけたっていう説もあります。まぁ、名前なんかどうでもいいってことなんじゃないかと思いますけどね。

今、禅の本の中で『碧巌録』と『無門関』というのは、第一に挙げられるベストセラーですね。 『碧巌録』というのは難解な書なんです。『無門関』よりも難しいといわれてる。なんで難解かといいますと、まず、先ほどいったように、垂示、著語、評唱っていう三つの文から『碧巌録』は成り立ってるわけです。

垂示ってのは何かというと、本則についての着眼点を示したものです。その次に著語っていうのは、本則の寸評、批評です。それから評唱ってのは、もう自分の思ったことをいいたい放題いう、評論といったようなものです。

ところが、これらの垂示、著語、評唱といったものは、本則の意味を、みんなにわかるよう話しているかというと、そうじゃない。わかんないようにしちゃってるようなところがある。そんなバカなことはないと思いますね。解釈っていうのは、わかりやすくするために書いてあるのだと思うのに、そうじゃなくて、謎を与えてそのショックで、何かを人の心の中にパンと響かせるようにしている。

それから、後世のお坊さんがこれについて話すことを提唱っていいますね。この提唱っていうのは、今いった評唱とほとんど似たようなものなんですけれども、これが全く特異な解説で、そのお坊さん自身が持っている禅の働き−これは非常に個性が強いものなんですけれども−それでもって、縦横無尽に好き勝手なことをいうから、よけいわかんなくなっちゃってるんですね。

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