「おもねる」ことは悪いことにあらず
「おもねる」ことは悪いことにあらず
問題は、孔子が“おもねる”ということを悪いことだとしているところです。おもねることが悪いことだという定義づけがあらかじめあれば、僕は孔子の心の中に罪障感があったんだと思うんですね。だからこういう言い訳をいっているんですよ。君主に忠誠にして、うやうやしく相手を尊敬するようにやると、人は「おもねている」と悪口をいう、と泣きごとをいっているわけですよ。
いいじゃないですか、ねえ、“おもねる”だって。「私は政治家になりたいんだ」と彼はいっているじゃないですか。政治家には時に人のきげんとりも必要です。ところで、この二行を読む限り、ロゴスの世界において孔子は自分をどうやって売り込もうかということについて、なかなかうまくやっているんです。
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みなさんにひとついっておきたいことは、僕は誤解を恐れずにいいますが、人間が生きていく上で、“媚びる”ということの技術が大事であるとしているのです。“媚びる”ということをみなさんはできるだけ学ばなくてはいけない。「あいそ」と「媚び」これは、人間じょうずに生きていくには、もっとも大切な技術です。
うまく「人に媚びる」というのはどういうことかというと、それが“媚び”だということを相手にわからないようにやるということです。演出する、ということですね。歯のうくようなお世辞をいっちゃいけないわけですよね。どうもお世辞とは思えなかったけれども、あとで考えたら持ち上げられてたなんて、最後までついにわからなかった、などというのは達人の域でありますね。
「媚び」と「おもねる」ということ
“媚び”という定義はどういうことかといいますと、ここに“おもねる”という言葉もありますが、要するに、人の自己重要感を持ち上げるということなんです。人の自己重要感を持ち上げるというのはどういうことかというと、簡単にいえば、「あんたは私より偉い」ということなんですよ。
こういう“媚び”のいえる人は、相手をものすごく幸福にします。なぜかというと、人間みんな「ひょっとして俺はこの世の中に生きる価値なんてないんじゃないか」なんて思うことがあり、劣等感に悩むことがあります。そして誰でもが、程度の差こそあれ、この劣等意識が、深層意識から頭をもたげてくることを恐れております。
これは要するに、自己重要感の低下している状態です。こういう人に向かって媚びるということは、「あんたは私より偉い」ということで、その低下した自己重要感を持ち上げてあげることになるんです。だから結局は相手を幸福にすることになるんです。これは、元気のなくなった相手に再び元気を与える所業でもあります。自己重要感の低下している人には元気がおきてこないんです。では元気がおきてこないというのはどういうことでしょうか。
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