分別意識を捨てよ

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昔、僕が音楽の世界でメシを食っていた時に、NHKでピアノを弾いている男が、飲み屋でこういったんです。「プロとアマの差はどこにあるか」。彼は「音楽の世界では、初見の楽譜でもって、すぐに弾き始めることができるのがプロである」といった。そこで僕は「違う」といったんですね。

「良い芸術をもって、人の心を打つことができるのがプロである」と。それからもう二人で侃侃諤諤、しばらくの間討論してたんですけど、そんなのに一致点があるはずがない。相手はロゴス、僕の方はカオスの世界でものをいってるわけです。

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世の中のいい争いを聞いててごらんなさい。僕達がしたような赤ちょうちんでの争いも、親子ゲンカも、みんなロゴスとカオスに分かれて、そこに、はまったまま議論をやってますよ。子供が「俺の夢が…、理想が…」なんていうと、親は「お前はまだ甘い。人生を知らなすぎる」なんて、ロゴス界での苦い体験からいう。母親の巣からまだでないような、口ばしの黄色い若者は、希望に燃えてるから反論する。夢とか理想とかいうのはカオスの世界です。こういうのは、まさにロゴスとカオスの争いですね。

ところが、意外や意外、親の持っているよき分別、年の功より亀の甲…さかさまだ(笑)、亀の甲より年の功といわれていますが、この年の功の方が人間の苦しみのもとであることが非常に多いのです。それは、ある時ある場合、そこにあてはまらないからです。世界が変わってくる、自分の環境が変わってくる、そうするとかつて教えられ、覚えたことがそのままではそこに匹敵しなくなってくるんですね。

例えば、人間っていうのは、組織社会で一番初めに“服従”を要求されるわけですね。頭が良い人でも、服従できないと一匹狼になっちゃう人がいます。歯車の一環になれない。

ところが、歯車の一環になるような教育をずっとたたき込まれてきて、無個性、イエスマンとしてやってきた人が、会社に入って、何年か後に、管理職になった時、深層意識が服従で固まってるから、どうしていいかわからないんですね。そして、こういう人が頭がおかしくなっちゃう。

服従から支配に立場が変わった時、自分の深層意識も支配の方に転換させていけばいいんだけど、わからない。それで、ビルから飛び降りたり、首くくったり、精神病になったりする人もいる。

これなんかも“服従”という分別心を持っていたからいけないんですよね。ここで図々しくなって、人を脅しあげて不幸にしても、俺が会社のためにやる…っていうようなことができるためには、それまでの分別を捨てなくちゃいけないのだということです。

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