不安が生じたときの言葉

不安が生じたときの言葉

不安が生じたときの言葉

まち子さんという三十年輩のお母さんがいまして、息子さんが小学校4年生で勉君といいます。これがかなり腕白であります。そして、いつでもまち子さんは息子の勉君をしかって、「いつかきっと怪我するわよ」と言います。

勉君はお母さんの言うことを守らずに、学校の帰りに道草をして、いろいろないたずらをする。何度もまち子さんはしかって、「そんなことをしてて、いつか怪我をしても私は知りませんからね」と言っていた。

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ある日、勉君は近所の家のブロック塀の上を、サーカスの真似をして歩いていた時、その家の大きな犬に飛び掛かられて落ちました。そして、その犬に噛みつかれて大怪我をした。「いつもお母さんが言っていたでしょう。いくら言ってもやめないから、こういうことになるんです」と、こう言いました。

しかし、勉君のいたずらは全然やみません。そしてある日、勉君は横町から飛出した途端に、霊柩車に足をひかれて骨折してしまった。さあ、ここでまち子さんがしきりと繰り返した言葉に、「きっと怪我する」という言葉があります。実は、これには重大な意味がある。我々は日常、このようなことを気づかずに使っていることが多いのです。

心に不安が生じた時、それを表現する言語、これを不安言語と言います。日常繰り返されたこの言葉は、勉君の心の下にあるアラヤ識、という潜在意識にだんだんと蓄積されて来ます。そして、怪我をする、というイメージがそこに育てられていく、熟成されていく訳です。やがて、それを原因として、その結果が現れる。そして、現実に体現する。まち子さんと勉君のこの話は事実です。この話を聞いた時、私は、ひいた車が霊柩車である、ということに強い興味を覚えました。

それはなぜか。霊柩車とは死んだ人を運ぶ車である。人間の心の奥底の潜在意識には、その人を救おうとするかもあります。救済に赴いてくる。例えば、病気を治して健康にする。自分が知らず知らず不運の方に向かうのをなんとかして、その方向を変えて立ち直らせようとするかもある。これは警告ではあるまいか。このような不安語を繰り返していれば、しまいには勉君は死ぬようなことになってしまうぞ、という警告をまち子さんの深層意識、アラヤは発しているのではないか。このように思った訳です。

つまり、これを放って置けば、勉君はいたずらがやまず、そして怪我もエスカレートしていって、ついには死に至る。もちろん二人は、そんなことを望んでいるはずがない。この言葉は、まち子さんの母親としての愛情から出た言葉です。「きっと怪我をする」というこの言葉は・・。

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